今年もイカナゴの解禁の時期になりました。
神戸では毎年この季節の一時期だけイカナゴという魚の新子の漁が解禁されます。
私の住んでいる地域では特に毎年それをキロ単位で購入して甘辛く炊いて近所や親戚にお裾分けするという風習が根強くあって、それが滅茶苦茶に盛り上がるのですが、数年前から不漁が続いて以前ほどの活気はなくなりました。
夫の母親からも何年か前までは頂いていたんだけど、もう今は作らないそうです。
それでも船の音が早朝から鳴り響いて魚屋に行列ができているのを見かけると、もうこの時期なのか、、、冬も終わるのか。と感じます。
去年の今頃は何をしてたっけ?なんて空気感や匂いに誘われてふと思い出したり、1年の速さに焦ったりするのも恒例となりました。
別に時が過ぎて焦ることなど何も無いのに、なぜ焦ってしまうんでしょうね。
人生の期限に対して何も成し得て無い感じを焦ってしまうのか。
そもそも誰もが何かを成し得なければいけないのか。
ずっとライブをしていなかったり、これといった活動をしていなかったりすると忘れ去られてしまうんじゃないのかなって時々思う。
数年前にアルバムをリリースした時、やっぱりこちらからの動きがある時には、新しい人からのリアクションがあったり今までの付き合いのあった人からも(本当にごく一部だけど)コンタクトがあったけれど、こちらから何もしなければ何も起こらない。
誰も必要とせず、誰にも必要とされず、の状態を良しとしてしまっているので、焦ったって仕方ないと思う。
良い時だけ近くに来る人を嫌だなって思うけど、自分だって同じような事をしているのかもしれないのであまりそこを深く責めるような気持ちを持たないようにしている。
季節の変わり目、何かのスイッチが入った時にふと感傷的な気持ちになってしまうけれど、春だから。