20230315


先週の土曜日は元町に出かけてきた。
神戸に越してから基本的に犬の散歩か勤務先(自転車で行ける)ぐらいしか移動しないんだけど、月に一度だけ街(三宮・元町)にヘアサロンに行く為にお出かけしている。
安くても必ずヘアサロンに毎月行く、というのは若い頃には無かった習慣で、そうでもしないと年相応の最低限の清潔感を保てない、という消極的な理由です。
(消極的にヘアサロンに行くので仕上がりはいつもビフォアとあまり変わらない)
ともあれ、電車で10分強なのに高いビルなど全くない須磨から旧居留地やハーバーランドや百貨店、商店街などのある街へ行くとすごく都会に来た気分になって、ちょっとウキウキする。
神戸は本当にちょうどいいサイズの街で山もあるし海もある。小さな銀座もあるし小さな新宿もあるし小さな代官山もあるし小さな高円寺や西荻もある。

元町の「舌れ梵」という昭和の頃からある喫茶店に行こうとしたら、名前が「自鳴琴(おるごーる)」に変わっていて、お店が変わったんだろうけどレトロからレトロへの改名センス、、、と思わずニッコリしてしまっていたら、中身は殆ど変わっていなかった。
恐らく前の店へのリスペクトから雰囲気の存続に重きを置いたリニューアルオープンだったんだと思う。
置いてあった本も前の店からそのままで、座席の横に並んでいる本の中から25年ぐらい前の神戸のガイドブックを選んでアイスカフェオレを飲みながらパラパラと読んでいた。
「もうすぐ開通する明石海峡大橋」という文章があったので、おそらく1997年ぐらいだと思う。
まだ世界が今のような気味の悪い絶望感に覆われるよりも前の時代で、書かれてる文面も何となく牧歌的な雰囲気が漂っている。
自分はちょうど大学生ぐらいかな。
でもその頃は阪神淡路大震災の余韻もあっただろうにガイドブックには震災の事は特に記載が無かった。
まだまだ震災の事が書けるような段階では無かったんだろう。このガイドブックを持って神戸の街で買い物をしようという事だったのかもしれない。
須磨や垂水、長田など今の自分に馴染みのある街も掲載されていたけれど、今も残っている店は殆ど無かった。

当時の空気が閉じ込められたような文章を昭和の雰囲気が残る店内で読み、外へ出たら皆がマスクをしていた。



コロナ渦はソーシャルディスタンスとかテレワーク、オフィシャル?な飲み会交流の減少など個人的には好ましい変化も多少はあったけれども、それよりも大きく深く人々を無駄に分断させてしまった。
マスクをする、しない、なんて分断は今まで無かったものだし、ワクチンを打つ、打たないの分断だって無かった。
他人を人ではなく病原体として認識するという経験はもうしたくないし、余計な分断はもう懲り懲りだと思う。


政治的な分断も(政治的な発言をする、しないの時点で既に分断があり、その先に自分の思うような事を言っている、言っていないでふるいわける)男女の分断も、個人的にはもういい加減止めてくれと思っている。
自分の立場だけが正しいと思い、そうでないものはどんな言葉を使って罵倒しても良いというスタンスを見るのは辛い。
私は自分が正しいのかどうかは分からないので、せめて言葉の暴力だけは使わないように気を付けていきたいと思う。

「正しさ」は傲慢な言葉、だと思う。


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