怒涛のゴールデンウィークが終わりやっと一息。
基本的に皆が休んでいる時に仕事をしたり諸々の用事をするので
休日が続くと逆に忙しい。
特に今回のゴールデンウィークはライブがあったので
その前の時期も準備や気分的にソワソワという感じで、やっとホッとして家の事を片づけたりこうやって日記を書いたり、
ようやく先日グリーンラバーズで購入した村田穣さんのCDをやっと聴いている。
「灯りを消して闇を見つめよ」
全編に渡ってシンプルなギター弾き語り、全12曲の作品集。
パンを焼き、料理を作り、絵を描き、ギターを弾き、曲も作り、歌う。
グリーンラバーズでライブをさせて頂くたびに村田さんの演奏も観ているのですが、こんなに沢山曲があるとは。
いつも何かを作って吐き出さないと思いが溢れてしまうタイプの人なんだろうなって思う。そしてそういう人の歌はいつも嘘が無くって美しい。
ライブで観るよりも優しくて夜の闇の中でひっそりと輝く小さな灯りみたいに穏やかに発光している。
こういう密やかで綺麗な歌を大事に抱えて生きてゆくのは素敵だなって思う。
そして前回の日記でも少しふれましたが、ゴールデンウィーク前の話ですが、マキタスポーツさんの本を読んで何だか色々と考える事もありました。
「雌伏三十年」
何となく村田さんのCDのジャケと雰囲気が似ているような気がする。
ダークなトーンの自画像。
自分がもし本やアルバムを出すならこういうジャケには絶対にならない。
(淡色グラフィティは知らない人にジャンルが伝わりやすいように敢えて自分の写真を使いましたが、出来る限り匿名性を持たせる感じにしてもらった)
これが俺だ!!というストレートな表現が出来る人を素直に羨ましく思う。
照れてしまってそういうのが出来ないのが自分の何かアカン部分のひとつなんだろうなあって最近特に思う。
まぁそれはさておき、とにかく文章が上手で面白くて。
読み始めたらどんどんと読み進めたくなり、後半は一気読みに近い感じで読み久々に日常生活に支障がやや出る感じの読書体験をした。
(元々、映画でもドラマでも小説でも没頭しやすいタイプなので気を付けてはいたんだけど。。)
山梨から上京した自意識でパツンパツンに溢れた青年がバンドを組んでそれを解散し流れに乗ってテレビに出るようになりやがて世間から忘れられてゆき、、、という
半分フィクション半分ノンフィクションという感じの内容なんだけど(実際はマキタさんは売れっ子芸能人なので)
自分の経験や感情と似た部分が多くって(あそこまで破天荒ではないけれど)年上の兄弟から音楽を教わって同級生とは文化的な距離を感じるところとか、ルーティンを一度決めてその通りに行うのが得意、みたいな部分も親近感があって中々に感情移入して読んでしまった。
特に終盤の友人の言葉を借りた(実体験なのかどうかはわからないけれど)
「自己表現」の意味について、ずっと考えていた事の答えのひとつを貰ったような気がする。
そ!所詮、自己表現なんだ、答えは自分のなかにだけある。だから始めるのも自分、辞めるのも自分、全部自分次第。
マキタスポーツ「雌伏三十年」より
神楽の神様は天蓋って言って天井におるんだけども、本当は自分の心のことなんだよ、それって。
前後の文脈が無いと、この部分の引用だけでは伝わりづらいかと思いますが、
マキタさんの友人が広島の神楽でギターを弾いているという話をして
「観客ではなく神様に向けてギターを弾く、その事で自分自身の長年の”なぜ自分はギターを弾いているのか?”という疑問が晴れた」
と告げる場面です。
とはいえ、自分はそこまでの純粋さが無いというか、「まあ自分にとって良い感じの曲が作れるから作ってるし、作ったからには神様だけでなくって、ちょっとは人間に聴いてほしいな」という邪念?みたいなものがやっぱりあるにはある。
作る部分に関してはほぼここで言う”神様”に向けて作っているようなもんだと思うけれど。
だからこそこうやってウェブサイトを作っているし、SNSだってやる。
音楽をやっていることによって辛うじて人と会えたり繋がったり出来ている部分が大きいので、答えは人それぞれなんだろうなって思う。
自分がもし一切音楽活動をしなくなったら、ただ生きていく以外に何もする事が無くなってしまうなと思う。