久しぶりに、痺れました。
ADUSAIのアルバム。素敵でした。
こうやって、特定の何かを褒めたたえる事によって、それ以外のものを結果として下げてしまう、、、という事象が苦手なので、あまり大袈裟に何かを(おこがましくも)評価するというのは避けたいと思っているのですが、今の気持ちとしては、それをも乗り越えてしまい、とにかく今、このアルバムについて綴りたい。
先日poyarnでADUSAIのライブを初めてみました。
おそらく20年ぶりとかぐらいに元スキマオトのハギさんとご主人と再会して、自分の記憶の中の彼らとあまりにも変わらなかったのに驚き、その曲や演奏との再会にも感激しました。
ここ10年以上、割とアコースティックな演奏と触れ合うことが多くなってしまい、忘れかけていたバンドのグルーヴにこれ!そうだ!これ!と妙にしみじみと撃ち抜かれました。
スキマオトって抽象画のような美しさがあるなぁと昔から思っていて、美しい色を自由に使って一見とりとめ無く進んでゆく気がするんだけど、全体を見渡すとちゃんとある情景が浮かび上がってくる、というような良さがあります。
それを受け継いで、更に声や言葉の力が以前より強く、視覚的になった感じ。
独特なリズムの切り方や言葉の選びかた、音色の重ね方が抒情的で、それでいてメロディは割とキャッチーなので何度でも聴きたくなる。
このアルバムを何周もしました。
周れば周るほどに映像が湧き立つ感じがして素敵です。
アートワークも抒情的で素敵。
これは、、、ますますバンドがやりたくなって仕方なくなってきて困る。
残された人生のうちでもう一度ぐらいはバンドをやりたいな。こういう格好いいやつ。
話変わって、今オーディブルで聴いているのは、向坂くじらさんという詩人の「ことばの観察」というエッセイです。
”友だち”とか”恋”とか”さびしさ”とか、特別ではない日常の言葉をひとつずつ定義してゆくもの。流れの中で筆者の考え方や捉え方が表されるという構成になってます。が、この人、何て生きづらい性格なんだろうと何度も思ってしまう。それと同時に果てしないシンパシーを感じてしまう。村田沙耶香さんもそうだし、とにかく生きづらそうな女性の作家の文章を読むと、ああこれ私だ、と思ってしまう。
みんなが普通で自分がおかしいんじゃないかと一人でずっと後ろめたさをどこかで持ち続けているという感覚は、結局自分ひとりではないんだろうと思う。
こういう文章が上手な人がそのことをスラスラと言語化してくれて、それで過去の自分が救われてゆくのかもしれない。

